社会不安障害(SAD)で不登校になり、2年間引きこもりだった私が社会復帰するまでの話
こんにちは、ゆうきです🧑🏻🦰
私は中学生の頃社会不安障害(SAD)になり、不登校と引きこもりになりました。
具体的な症状としては、過敏性腸症候群から始まり、赤面恐怖症、人前での手の震えなどの症状に苦しみ、誰とも会えなくなりました。
こういったデリケートな問題って中々人に相談出来ないので一人で抱え込んでる方も多いんではないでしょうか。
私も誰にも言えず、こんな事で苦しんでるのは世界中で自分一人だけだと思い込んでました。
ですが今はとても元気に社会に出ています!
そして色んなことにチャレンジし続けて楽しく生きてます。
今回は私が対人恐怖症・社会不安障害を乗り越えて、また人と会えるようになるまでの話を書いていきたいと思います!
運命的なお寺との出会い
占い師さんの予言
中学3年生の冬休み明けから学校に行けなくなり誰とも会えない状態だった私は高校受験を受けるつもりでしたが、試験に行く勇気がなくて結局受験もせずに引きこもり生活になりました。
その頃家族は母だけだったのですが、母は自宅で自営業していて常にお客さんがいるのと母の近くにいることもしんどかったので中学生の頃から別々に暮らしてました。
どこにも居場所がないと感じていて虚無感と寂しさを抱えながら一人で音楽を聴いたりネットサーフィンしたり本を読んで暮らしてました。(浜崎あゆみの曲に救われてました🥲)
八方塞がりな私はカウンセリングや催眠療法、自律神経を整えるCDなど色んなことを試しましたが、過敏性腸症候群や赤面恐怖症は治りませんでした。
そんなある日私の不登校に悩んだ母は、私をある占い師のところに連れていきました。
見た目は風格のある中年のおじさんでした。
その占い師さんは風水の先生で霊感もあるらしく、よく当たると有名だったみたいです。
その先生曰く、私の星回りはわがままで強情な性格で、スポーツをしないとニキビができると言われました^^;
その頃ニキビに悩んでいた私は「当たってる!」と思いその先生の話に惹き込まれていきました。
「あなたは結婚したら幸せになれます」と言われ
苦しみの絶頂だった私は
「結婚するまでずっと苦しいんですか?」と聞き返しました。
占い師さんは苦笑いして否定しませんでした。
15歳の私は絶望しました。
結婚するまでこのままずっと苦しいの・・・?
「イケメンで頼り甲斐があってやさし〜〜〜い人と結婚する」
そう言われました。
「面食いやんね」
そう言われ私は内心「そんなことはない!」と反発しました(^^;;
さらに先生から「今年の6月15日に運命が変わる出来事がある」と言われました。
対人恐怖症・社会不安障害(SAD)の原因は母との関係にあり・・
占い師さんの言葉を信じ私はワクワクしながら過ごしていました。
すると引きこもって半年が経ったまさに6月15日の夜、母のお客さんから突然「あなたの娘が危ない、今すぐ私に付いてきて!」と言われました。
そのお客さん(関西人風のおばちゃん)と私は一度会ったことがあるくらいの面識でしたが、
実は前世で私のおばあちゃんだったらしいのです。
(ちなみに私の前世は西郷隆盛の島妻・愛加那らしいです)
いつものように畑仕事をしている最中に、ふと私の顔が浮かんで涙が止まらなくなったそうです。
私と母は驚きましたが藁にもすがる思いだったので、私たちは家から車で4時間ほど走り、とある島にあるお寺へ向かいました。
(そのおばちゃんはお寺の信者さんでした)
お寺に着く頃には日付は変わり、夜中の1時を回っていました。
そのお寺には院代と呼ばれている70代のおばあさんと息子の住職二人と行者さんがいました。
院代さんは神や霊と会話ができるらしく、私の社会不安障害について会った瞬間に「親への甘えに対する知らせやな」と言っていました。
そしてお金に執着し私を理解しようともせずただただ甘やかす母にも原因があると言っていました。
当時の私は母親を死ぬほど嫌っていてしょっちゅう暴力を振るっていました。
院代はそのことを知らないはずなので、視えていることに驚きました。
霊的な世界から見ると、人間の心が間違っている時はその人が一番嫌な部分に知らせてくるそうです😱
例えばお金に執着している人だったら財産を失ったり、大切な方がいる人はその方が病気になったり、見た目に執着している人だったら怪我をして傷を負ったり・・・
私の場合は人目に執着していたので、社会不安障害という現象で母への甘えに対する知らせが来てたんだと思います。
また私はこの世で果たすべき役目があるらしくて役目の大きい魂ほど間違った時の知らせも大きいと言っていました。
さらに院代は続けて「霊障の影響だからすぐに永代供養をした方がいい」と言いました。
どうも母方のご先祖様の因縁が相当深いらしく苦しんでいるご先祖様を供養しなければ「救ってほしい・気づいてほしい」とご先祖様が悪さをしてしまうそうです。
結構な金額を言われ母は迷っていましたが供養をしていただきました。(お母さん、ありがとう🙏)
ノイローゼなどの精神病の原因は9割が霊の障りだそうです。
供養した次の日は朝早く目が覚め身体がスッキリとした気持ちでした!
やっと病気が治る!とウキウキしていたのですが、相変わらず私は人と会うことが出来ませんでした。
院代さん曰く、先祖供養をしてもあんたの心が変わってないから病気は治らないとのこと。
えぇぇぇ😵💫
心を変えるって言われても私はどうしたらいいか分かりませんでした。
お寺に住み込みで行をする事に
相変わらずの引きこもり生活を送っていたら、院代さんに「あんたたちは親子の行が必要だからしばらく一緒に寺で行をした方がいい」と言われました。
私と母は素直に荷物をまとめてお寺に寝泊まり生活を始めました。
毎朝5時に起きて隣の山にある仏像たちの水や榊を替え、昼間は仏像を磨いたり枯れ葉を掃いたりして行を積みました。
院代さんには3ヶ月いるようにと言われていましたが、対人恐怖症の私は他の行者さんといることも苦痛で途中で逃げ出してしまいました。
そのお寺は山を所有していてそこにたくさんの仏像や建物があったのですが、
院代に「人と会いたくないので山籠りをしたい」と申し出ました。
院代は最初承諾してくださりひとり山籠り生活を始めたのですが、離れていても私の心の状態が手に取るようにわかる院代はこう言いました。
「一人でこもっていても行にならない。人と関わる中で魂は磨かれる」
逃げ癖の強い私はまた逃げてしまいました。
そして、一時は寺に希望を見出した私でしたが、結局自分が変わらなければ病気は治らないんだと絶望し相変わらず人とも会えず、母にも甘えて反抗的でわがままで、全てを母のせいにしていました。
それでも院代や息子の住職さんは私を見捨てず離れていても毎日電話でサポートしてくださったりアドバイスをくださいました。
社会不安障害は異性への憧れが原因
私と母は、住み込みの行から逃げ出した後も院代さんや息子の住職さんとはコンタクトを取り続けアドバイスをいただいていましたし、頻繁に片道4時間のお寺に通っていました。
ある日院代さんに「あなたは繊細すぎる。元々強い人だからもっと強気でいっていいよ!」と言われました。
確かに私は小学生の頃はとても強い女の子でした。
小学生の頃、親友から距離を置かれたことがきっかけで、自分に自信がなくなり、人の顔色を伺うようになった私は、強気な態度と気持ちを意識して人と接するようにしていきました。
当時のことはこちらの記事に書いてます。
更に私は母子家庭で幼い頃から男性がいない環境で育ったため、男性に対する憧れが強く、そのせいで男性が苦手でした。
そのことも社会不安障害に強く影響していると言われました。
また、男性への憧れを弱めるために男性と関係を持つことで対人恐怖症が治ると言われました。
当時の私(15歳)は男性が苦手で性に対する恐怖心が強く、気持ち悪い、一生したくないとすら思ってました(~_~;)
住職さんのお告げによると、セックスする以外に治る方法は私の心のレベルを上げることだと言われたので、私は心についてたくさん学んでました。
社会復帰、何事にも意味がある
そんなとき、高校は出てた方がいいとのことだったので1年遅れで受験をすることに。
なんとか合格することができましたが、入学式にも行けず授業にも出る勇気がなくて、たまに保健室登校するのが精一杯でした。
そして単位が足りず1年留年することに。。
そこで、住職さんのお告げで21日間1日も休まず登校するようにと言われました。
1日も行けないのに21日間も絶対無理!嫌だ!と言いましたが、
お告げによると、ここでこの試練を乗り越えないと、今後今以上の苦しい試練が訪れると言われ
私は力を振り絞って21日間毎日住職さんとコンタクトをとりながら励まされながら学校に通いました。
あの期間は本当に地獄のようでした。
ですが、挫けそうになりながらもなんとか21日間通うことができました。
実は、最近知ったのですが、実際に対人恐怖症やパニック障害を治す手法に暴露療法というものがあるそうです。
暴露療法とは、恐怖になる環境や場面に実際に身を置いて恐怖を感じることで恐怖が和らいでいく療法です。
これは、本当に効果があるそうなのですが、
私がお告げで21日間休まず学校に行くという体験も暴露療法に似てるなと後から思いました。
私の場合も、暴露療法の場合もそうですが、一人では無理だと思います。
隣で理解し、応援し励ましてくれる存在がいないと、とても頑張れませんでした。
それは、家族かもしれないし、カウンセラーや私の時のようにお寺などの人かもしれません。
できれば、心に関する知識があってあなたを無条件に受け入れ理解してくれる存在がいいです。
21日間通えば病気は治ると言われていたにもかかわらず、治っていなかったため22日目から私はパタリと学校を休みました。
同じ高校に行きたくなかった私は母に頼んで転校することにしました。
私と母はお寺がある島に引っ越しをして、私は島の高校に通う事になりました。
すると、不思議なことに急に学校に通えるようになりました🥸
都会の喧騒から離れて田舎の暖かい人たちに囲まれて過ごしたのがよかったのでしょうか。
クラスのほとんどが女子だったのもあったかもしれません。
もしくは21日間の行を達成したことで見えない世界からの赦しをいただけたのかもしれません。
あの21日間は私の魂の課題と直結していたのかもしれません。
人生はわからないことが本当に多いから不思議です。
特に人の心というのは謎だらけ・・・
社会不安障害になったことで人の痛みに敏感になり、物事を深く考えるようになりましたし、心理学に興味を持ち始めました。
今思うと、社会不安障害で苦しむ経験はあるべくしてあったもので必要な経験だったと思っています。
(当時は何度も自殺を考え本当に苦しかったですが…)
あの時の経験がなければ物事を深く考えたり、人の痛みに敏感になったり、苦しんでる人を救いたいという気持ちになることもなかったかもしれません。
人生に起こるすべてのことには意味があり、無駄なことは一つもないんだなと思う体験でした。
諦めなければ必ず光はやってきます!!
対人関係で障害をお持ちの方は下記のブログもおすすめです。
世界中の人が救われますように・・
それでは👋🏻