【生き地獄】毒親育ちの私が社会不安障害になるまで

こんにちは🧑🏻‍🦰

皆さんはご両親との関係は良好ですか?

それともあまり上手くいってませんか?

今日は私の母娘関係と社会不安障害の発症についてお伝えしたいと思います。

同じような経験をされている方もそうでない方も親子関係で悩まれたことのある方はぜひ最後まで読んでください🙌

 

 

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私が社会不安障害になるまでの経緯

ほったらかしにされ母から愛されないと感じるように・・

私は幼い頃に父を亡くし、母と二人で生きてきました。

保育園の頃は祖父母の家で暮らしていて、遅くまで仕事で帰らない母の帰りを窓辺で祖母の背中に抱かれて毎日泣きながら待っていました。

その頃のことを思い出すと、今でも寂しくて拗ねている幼い心が蘇ってきます。

母は私を自分と同じ田舎の学校に通わせたくなかったそうで小学生に上がる頃、母と二人で町中に引っ越しました。

相変わらず母の帰りは遅く、私はいわゆる鍵っ子で毎日誰もいない家に帰り、レトルトのカレーや冷凍ご飯を食べていました。

母の帰りが遅いのは仕事なのか飲み会なのか分かりませんが、母はよく酔っ払っていてそれがとても嫌でした。

救われていたのは、団地住まいだったので同じ学校の友達や先輩たちがよく遊んでくれたことです。

同じ棟に住んでいた同級生の友達とは夜遅くまで遊び母が帰るまでその子の家で寝てしまったこともあります。

母は物さえ与えていればいいと考え、私が欲しい物はなんでも買い与えてくれました。

ですが私が本当にほしかったものは母にそばにいてもらうことでした。

そして母は職場の人と海外旅行に行ったり彼氏とデートをしては私をほったらかしにすることも多かったです。

母が私を置いて上司とイタリア旅行に行った時、私は邪魔者なんだと感じました。

そしてだんだんと私は母に愛されてないという思いが強くなり、小学校高学年になる頃には母への反発心が膨れ上がり母に暴力を振るうようになりました。

反抗期というのは親から分離するための大切な通過点だそうで、それを経る事は必要なんだとか。

逆に反抗期を出せず、ずっと親の良い子を演じてきた子どもは大人になっても親から分離することが難しくなり問題が解決しにくくなるようです。

親友から突然「距離を置きたい」と言われ・・・

私が小学6年生の時、転校生の女の子と仲良くなりました。

その子は明るく優しく、いつも私のことを気にかけてくれました。

直情型ですぐに周りが見えなくなる私はその子から好かれていると慢心し、離れていくなんて思いもしませんでした。

そしてある日突然手紙をもらい「ゆうちゃん自己中だから距離置きたい・・」

突然のことに私は家に帰って大泣きしました。

思えば当時私が泣いている間、母はずっとそばにいてくれました。

自分に自信がなくなり過敏性腸症候群や赤面恐怖症の発症

その頃から私は自分に自信がなくなり、それまでは強気だった性格が人の顔色ばかり伺う性格に変貌しました。

(友人はきっかけであって元々私の中に「母から愛されてない」「私は誰からも愛されない」という思いがあったようです)

その変化で良かった点は人の気持ちを考え、空気が読めるようになったこと。

悪かった点は人の顔色ばかり伺い自分に自信がなくなったこと。

そして中学校に上がってしばらくした頃、過敏性腸症候群という病気が出始めました。

真面目で優しい人がかかりやすいそうです。

その後赤面恐怖症も発症するようになりました。

人と話す時、顔が赤くなっている恐怖に囚われ中学生の頃から隠すためにファンデーションを塗っていました。

それでも赤面がバレるのが怖くて怖くて仕方ありませんでした。

その後、中学でまた色々あり更に自信がなくなって人前で手が震えたり症状は悪化し、限界がきました。

そして中学3年生の冬休み明け、もうすぐで卒業という頃不登校になり誰とも会えなくなりました。

家で一人引きこもる日々は生き地獄でした。

「世界で自分が一番苦しい」と思えていましたし、身体障害の方に申し訳ないですが、「心が健康なら手足がない方が幸せ」と心から思っていました。

そのくらい苦しかったです。

苦しみって本人にしか分かりませんよね。

人と会えないなら生きていけない!と思い楽に死ねる方法ばかり調べてました。

カーテンレールに紐を吊るしていつでも死ねると思えることが希望でしたし、心が軽くなりました。

社会不安障害(SAD)を乗り越えるまでの経緯はこちらの記事に書いてます。

憎しみから解放されるために・・

インナーペアレントを育む

当時の私はこの社会不安障害と母への怒りに深い関係があるとは思いもしませんでしたが、母への怒りの表現方法として、この社会不安障害や不登校という現象が現れていたんだそうです。

そしてこの母への怒りに自信喪失体験が加わったことで、過敏性腸症候群赤面恐怖症を発症してしまったように感じます。

親が利己的で子どもに自分の期待を押し付けている家庭では子どもは最初は頑張って良い子・出来る子を演じますがいつか限界がきて親に復讐し始めます。

私も不登校の間は母にひどい暴言や暴力を振るっていました。

また魂レベルで見るならば、母が自分のことしか考えてないことへの知らせとも見れます。

親が間違っている時、知らせの方法としてよく子どもが遣わされるそうです。

子どもが病気になったり、障害を持ったり、不幸な状況になったり・・

これもなのです。

引きこもりと聞くと、受け身なイメージを持たれるかと思いますが、この引きこもりも受動攻撃と言って”怒り”の一形態だそうです。

引きこもることによって、相手に「私はこんなに傷ついてるんだ。お前のせいだぞ!」と訴えているのです。

そうして相手に罪悪感を感じさせたいのです。

時々私は母への怒りの感情を解放し癒すためにセラピーに通っています。

幼少期の寂しさや怒りといった感情を再体験していきます。

感情は感じきることで完了し解放されるそうです。

毎回涙が溢れてきて、終わった後は心が暖かく身体は緩んだようなリラックスした状態になれます。

セラピーの様子や感想は下記の記事に書いています。

 

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過去をやり直すことは出来ません。

ですが、過去のとらえ方と今の感情は癒すことで変えることができます。

今私にできることは、幼い頃の母との思い出を思い出し、怒りや寂しさ、悲しみ、愛されなかったという思いを再度感じきってインナーチャイルドを癒してあげることだと思っています。

幼児脳から大人脳へ

私たちは子どもの頃誰しもが親に対して依存的な関わり方をします。

依存的とは相手に全て求める事です。

「わかってほしい」

「愛してほしい」

「大事にしてほしい」

「見てほしい」

これらの感情があることを認める事がとても重要です。

親を憎んでいたとしても毒親だと思っていたとしても「親が好き」なんですよね。

嫌いだけど好き」「憎いけど愛されたい

私たちが依存の側である時、何かしてもらったとしてもしてもらう事が当然と思っているので感謝する事ができません。

そして親の状況や気持ちを理解しようとも思いません。

自分の苦しみにしか目が行きません。

「わかってくれないお父さんが悪い・お母さんが悪い」とあくまでも自分は無力な存在で、本当はあなたからこの状況を変える事だってできるのにしようとしません。

自分の感情と向き合い癒していく中で自律の感覚が出てきてある時「親を理解しよう、感謝しよう」という思いになったりします。

そして親との関係はパートナーシップに投影されやすいので、恋人に依存的な関わり方をしてしまう方はまず心の中ででも親に対する感情を変えていくと良いと思います。

最後にひとつ映画を紹介します。

「私たちはお母さんの役に立つために生まれてきた」

映画『かみさまとのやくそく』で胎内での記憶を持つ子どもたちが語っていた言葉です。

あんなにほったらかしにされても利用されても私たちはお母さんがいいんだなって人間の不思議を感じますね^^;

絶対泣くのでハンカチを持って鑑賞してください🎬

映画『かみさまとのやくそく』の予告編

 

またインナーチャイルドワークを行うことで、インナーペアレント(大人の自分)が育まれ、親への執着も和らいできますよ。

インナーチャイルドワークについてはこちらの記事に書いてます。

それでは👋🏻

 

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