【シャドー】投影の引き戻しで全体性を手に入れる
こんにちは!
じょうぶな心を育てるカウンセラー田口ゆうきです。
今回はシャドーと投影のお話をしようと思います。
あなたには、「許せない!」と感じることありますか?
また、どんな人を見た時そう感じますか?
実はそれ、あなたのシャドーを相手の中に見ているからかもしれません。
シャドーとは、あなたの中に本当はあるけど、認めたくないのでないものとして抑圧したあなたの事です。
認めるのが耐えられないくらい嫌なものなので、それを相手の中に見ると無性にイライラしたり、怒りを感じるのです。
ちなみに私は見返りを求める人がずっと許せませんでした。
「こんだけしてあげたのに」
「裏切り者」
そう言われても反発しか感じませんでした。
「何のためにしてやったと思ってるんだ」
こんな風にも言われたことがあります。
私は最初から利用されてることを感じ取っていたので、そんな人に恩返ししたいとも思えず、何を言われても罪悪感も感じません。
価値観が違いすぎるし、分かり合えないと思ってました。
でも、今思うと彼らは私のシャドーを見事に表していました。
私は潔癖な性格で自分にも他人にも完璧な聖人を求めるクセがありました。
批判癖も強かったです。
中学生時代からカウンセラーになりたい気持ちがありながら、行動しなかった理由のひとつに「人の苦しみでお金を頂きたくない」という気持ちがありました。
「人が人を助けるのは当たり前のことで無償じゃないなら愛じゃない」と・・・
ですが、無償でカウンセリングしていては食べていけません。
後に、カウンセリングの講座を受けて学ぶ中で師匠から言われました。
無料のカウンセリングが一番難しいと。
無料では、クライアントさんも「してもらってる」という引け目を感じるのでカウンセラーに不満があっても言えなくなるのだそうです。
また、料金を支払わないと変わる事にコミットできず、クライアントさんの変化もあまり期待できないのだとか…
確かに私も頑張ってお金を払ったから頑張ろう!一生懸命しよう!と思えます。
話がズレましたが、私は見返りを求める=悪だと思っていたのです。
確かに神の愛は無償です。
でも、私は人間だし自分に神を求めることは現実的ではありませんでした。
これも、万能幻想です。
万能幻想についてはこちらの記事に書いてます。
そんな私は、他人にも神を求め無償の愛を求め続けてました。
「見返りを求める私」が私のシャドーだと気づいたんです。
だからといって、実際に見返りを求めようとは思ってません。
そうではなくて、見返りを求めたくなる自分も受け入れて赦すのです。
地に足をつけてこの世の綺麗じゃないところを受け入れることが精神的な成熟なのだと思います。
誰の中にも自分を優先したい利己的な部分と人を喜ばせたいという利他的な部分があります。
利他的な部分だけを求める人は精神的に病みやすいです。
作家の金子みすずは「みんなを好きになりたい」という詩を残してますが、彼女は夫を嫌いになった自分が受け入れられずに苦しんだ様です。
26歳の若さで自殺しました。
また、「雨にも負けず」で有名な宮沢賢治もその詩から分かる通り潔癖な理想を抱いています。
彼の自身への罪悪感もこの幻想を求める心から来ていると想像できます。
心には逆説的な性質があり、まず自分を大切にできた人が自分というものを手放し、自分を超えることができる様になります。
自分を大切にするとは、他者との関係性の中で自分の気持ちや欲求を優先することです。
もちろんわがままになれと言っているのではありません。
何事もバランスが大切です。
相手の気持ちも尊重した上で、自分の気持ちを主張する。
話し合いの中で折り合いをつける。
自分の欲求が叶わなくても「伝えている」のと「伝えられなかった」のでは心残りが違います。
「伝える」だけでもスッキリするものです。
利己的な部分と利他的な部分を統合することを、ユング博士は「全体性」と呼び「自己実現」と言いました。
陰陽の統合です。
自分の中の許せないシャドーを受け入れ赦していくことであなたの中でも陰陽の統合が起こります。
その時あなたは、ひと回り大きく成長していることでしょう🌱